[韓国事件] 聖水大橋崩壞事故
1994年10月21日午前7時38分頃、ソウル特別市が管理する聖水大橋の上部トラスが突然崩壊し、漢江に落下する大事故が発生した。第10・11橋脚の間、およそ50メートルの区間が完全に崩れ落ち、韓国社会を震撼させた。
この事故により32名が死亡し、17名が負傷するという合計49名の死傷者が発生した。通学途中の女子高生や市民が多く含まれており、特にバスに乗っていた学生のうち29人が死亡するという深刻な被害をもたらした。
原因は大きく二つに分類された。第一に、設計と施工のミスである。トラスの接合部の溶接が不十分で、また定期的な点検や補修が実施されていなかった。第二に、橋の設計耐荷重(32トン)を大幅に超える過積載車両が頻繁に通行していたことである。
事故直後、ソウル市は緊急対策本部を設置し、警察・消防・救助隊による大規模な救助活動を展開した。交通網の再編成、迂回案内、信号の調整など、都市全体が対応に追われた。
当時のソウル市長は責任を取って更迭され、事故の政治的影響も大きかった。また、事故後には同じトラス構造を採用していた他の橋も点検され、安全性が再評価された。
崩壊した聖水大橋は市民の感情を考慮し、全体を再建することが決定され、1995年4月から再建工事が始まり、1997年に一部が開通した。2004年には最終的な拡張工事が完了し、現在の橋としての姿に至っている。
この事故は、韓国社会において「安全不感症」という言葉を広め、インフラの点検と管理の重要性を国民に認識させる契機となった出来事である。現在でも都市計画や建設分野において重要な教訓として語り継がれている。
